日々の思いを本気で伝える!修造コラム
2012年03月28日報道ステーション 萩原智子~病気・手術を乗り越え、再び五輪へ
ロンドンオリンピック競泳の日本代表選考会が来週行われますが、
今回はその大会に出場する萩原智子選手を取材させていただきました。
萩原さんにとって、1年前は、水泳選手として、そして一人の女性として大きな試練のときでした。
実は、1年前、萩原さんがいたのは病院のベッドの上。
病気、そして手術を乗り越え、一度は途絶えたオリンピックへの道を這い上がってきたんです。
「オリンピック」の存在が、自分をここまで頑張らせてくれているという萩原さんだからこそ、
オリンピックへの想いが誰よりも強いんだと思います。
萩原さんが初めてオリンピックに出場したのは、2000年のシドニー大会。
200m背泳ぎの結果は、タッチの差で4位でした。
その後引退、結婚を経て、再度オリンピックに出たいと2009年に現役復帰。
5年のブランクを経ての復帰は世界でも異例の挑戦でしたが、
2010年には、自由形で日本代表に返り咲き、日本記録も更新しました!
毎日日記にロンドン選考会までのカウントダウンをつけていたという萩原さんですが、
その選考会まであと1年と迫った去年の3月、体調に異変を感じて病院に行ったところ、
卵巣脳腫と子宮内膜症という診断を受けたそうです。
「水泳をやれる状態じゃない。」
あれだけ強い想いを持っていた水泳やオリンピックのことが瞬間的に消えていたと言います。
ただ、4月に手術した後、入院中に、たまたまテレビでやっていた世界水泳の代表選考会を見て、
それまでは消えていた水泳という存在が、またポッと浮かび上がってきたんだそうです。
選手として復帰するのかどうかは、水の中に入ってみないと分からないということで、術後1ヵ月でプールに復帰。
しかし、最初にコーチから許された泳ぐ距離は、わずか200mだったそうですが、
たったそれだけの距離でもはっきり出た答えは、
「また日の丸背負って頑張りたい」「もう一度オリンピックで戦いたい」ということ。
しかし、オリンピックを目指すためには、今まで以上の頑張りが必要でした。
手術したことで衰えた筋力を鍛え直すため、体幹を徹底的に鍛えるトレーニングを行い、
その質や量は、日本代表のトップスイマーとしてやっていた頃とは比べものにならないほどだったとか。
術後、最初200メートルから始まった水泳は、半年後には水泳人生で最長の15000mまでになり、泳ぎ込んできました。
できなかったことができるようになっているから、病気になる前よりも絶対に強くなっているという萩原さん。
そして、先月11日に行われた日本対水路選手権にトレーニングの一環として出場した萩原さんは、
50m自由形予選でなんと短水路日本新記録を樹立!
しかも、31歳での日本新記録達成は日本水泳史上最年長での快挙です!!
でも、やはりスポーツは結果がすべてのシビアなもの。
その話をしていたときに、萩原さんのトーンが急に変わったんですよ。
オリンピックに出場できるのは一握り。
修造さん、そんなの分かってるんです。
だから私は、そこからスタートしたんですと。
彼女のものすごい覚悟を感じずにはいられませんでした。
これだけ厳しいトレーニングを重ね、いろいろな経験をしてきたからこそつかんだ心の強さ。
来週の代表選考会でも、一段と強くなった萩原さんの姿が見られるはずです!