日々の思いを本気で伝える!修造コラム
2013年08月22日報道ステーション 伝統の木造舟”サバニ”~未来へつなぐ沖縄の心
今回は、沖縄伝統の木造舟「サバニ」をご紹介いたします。
「サバニ」は、最も古いもので、19世紀の資料にその原型が描かれており、
主にサメ漁のための舟として使われていたそうで、この地方では、サメのことを「サバ」と呼んでいたことから、
サバ(サメ)を捕る舟=サバブニが変化して、「サバニ」になったとも言われています。
その「サバニ」に乗せていただいたのですが、水の上をスーッと滑っているような感じで、
かっこよくて、本当に気持ちがいい!
「サバニ」は舟底がVの字型をしているので、水の抵抗が少ないのが特徴だそうですが、
舟の形だけではなく、その作り方も独特なんだそうです。
サバニ発祥の地と言われる沖縄県糸満市に、サバニ大工の大城清さん(63歳)を訪ねました。
一心不乱に「サバニ」を作る大城さんの作業を拝見していると不思議なことに気づいたのですが、
ネジなどの金属類がどこにも使われていないのです。
伺ってみると、使われているのは、竹でできた釘「竹釘」だけ。
理由は、金属は海水であっという間に腐ってしまうからだとか。
そして、杉の木の板を手作業で削り、張り合わせていくのだそうですが、
そのつなぎ目も、見た目には分からないほどの精巧さです。
そして、木と木をつなぐ部分にも、木を使い、金属を使わないことで、「サバニ」の寿命は60年にもなるそうです。
さらに圧巻なのは、舟の曲線。
これは、手で削って曲げるのではなく、お湯を使って曲げていくというから驚きです。
「木が曲がる」というのが想像できないのですが、まずは沸騰させたお湯をかけ、木をひもで縛り、
じわじわと曲げていくという作業を丸1日繰り返すと、美しい左右対称の曲線ができあがるそうです。
まさに職人技ですね。
明治40年代には、糸満だけで800隻もあったという「サバニ」ですが、
エンジンやプラスチック舟の普及により、その数は激減。
そして今では、サバニ大工は5人を数えるほどにまで減り、
しかも、63歳の大城さんが現役最年少という厳しい状況です。
そんな中、2000年に開催された沖縄サミットが転機となり、
地元沖縄の伝統文化を復活させようと、サバニによるレースが企画されたことで、
大城さんのもとには、修理の依頼や新艇の建造依頼などが相次ぎ、
あちこちに放置され、朽ちかけていた「サバニ」が、全部生き返ったそうです。
「涙が出るほどうれしかった」という大城さん。
その後、漁師の舟「サバニ」は、マリンスポーツへと徐々に姿を変えていき、
そこで大城さんが出会ったのが、沖縄県出身の高良和昭さん(40歳)です。
かつては、カヌー競技の日本一にまでなった高良さんは、
その経歴から、乗り手として「サバニ」と関わり始めたそうですが、
サバニを作っている様子を見て、「自分の舟も作ってみたい」と大城さんに弟子入りされたそうです。
待望の後継者候補ですが、サバニには設計図がないため、技術は肌で学ばなければなりません。
そんな二人が今年6月のレースで自分たちが乗るための舟を新たに作り上げました!
そして、今年で13回目を迎えたサバニ帆漕レース。
参加したのは、島の中学生チームや女性だけのチーム、遠く神奈川から参加したチームなど、その数33艇!
沖縄本島までの40キロの外洋を渡るのですが、舟がのまれてしまうほどの荒波を越え、
舵をとり、ひたすら漕ぎ続けること4時間。
大城さんと高良さんのチームは、伝統サバニ部門で見事優勝です!
沖縄の伝統文化「サバニ」は、マリンスポーツへと形を変えたことで、未来へと生き続けています。
ほれぼれとするくらい美しい「サバニ」は、肌触りもつるつる。そして、かっこいい。
大城さんのサバニに「松助」という文字が彫られているのですが、これは大城さんのお父さんのお名前だそうです。
サバニ大工だったお父さんの魂も一緒に乗せたいという想い、そして、その弟子の高良さんは、
いつか舟を作ったときに、師匠である大城さんの名前を彫りたいとおっしゃっていました。
こうして、伝統というのは受け継がれていくんだなと思いましたね。
沖縄の方々の想いがつまったこの「サバニ」が、これからも受け継がれ、
沖縄の海を颯爽と走っていく姿を末永く見られますようにと願わずにはいられません。